婚活ナラティヴ

独身ミドサーが医師国家試験の勉強をしながら結婚について考えるブログ

セックスと家族がつながっていない

一応婚活ナラティヴと名付けてはみたが、このブログは婚活の様子を報告する類のブログではない。アプリとか結婚相談所とかで知り合った人の寸評を書いて人に見せることを趣味にするほど尊大な人間ではないし、そうなりたくもない。

 そもそも結婚をするために人に会うのは色々と端折りすぎなんじゃないかと思う。マッチングアプリはおろか、お見合いという古くからある制度も私にはピンとこない。ちょっと会ったくらいでわかるのはせいぜいセックスしたいかどうかくらいである。認知症になってウンコを食ってるのをお世話できるくらいに好きかどうかなんてわからないし、保釈金を小脇に携えて拘置所まで迎えに行けるくらい好きになれるかどうかもわからない。

 そもそも女性と付き合っていて「この人と結婚したい」という気持ちになったことがないので困っている。「明日急に別れを切り出されても、涙1つ出ない、むしろ清々しい気さえする」と思いながら女性と付き合ってきた。結局別れを切り出されたことはなく、全部私から別れを申し入れた。33歳にもなって一度もフラれたことがない、というのはかなり人として大きく欠落しているように感じる。これは人を好きになってないというのと同値だと思う。このブログは自分のねじくれた性格と向き合うための内省的なナラティヴアプローチだ。

 男達には恵まれてきた。「この人と結婚したいな」と思う男は今までに6人いた。今でもみんな良い友だちだ。ウンコ食ってても笑って口の周りを拭いてあげられるし、「苦しいから来てくれ」と言われれば世界中どこにいたって朝イチには駆けつける。こいつらの話はそのうちブログに書くと思う。

 しかし、自分の性的志向は女性だし、LGBTQのGやBには当てはまらないし、性的嗜好に関係なく同性同士が婚姻する仕組みがないので困る。セクシャリティヘテロだが、婚姻に関しては同性を志向しているなんてことがあっていいのだろうか。私にはよくわからない。セックスと婚姻の性的志向がずれていることが私の抱える問題の根本的な部分であるというのが今日の結論である。セックスと家族がつながっていないのだ。そういう人間は平気で不倫をすると思う。ここが繋がらないかぎり私には結婚をする資格がない。

 ブログに関しては成功体験が1つある。大学受験の時にその日の勉強量を記録して散文と共にブログに公開していた。何かがバズったわけでも(バズなんて言葉当時はなかった)収益化したわけでもなく、たまにくるコメントとPV数を見てなんとなく勇気付けられていた。

 おかげで私は勉強を継続することができ、受かりそうもなかった大学に現役で合格した。その後、たくさんの良い人々に出会って良い仕事にも就け、人生は上々なものになった。

 ちょうど私は再来年に控えた医師国家試験に向けて勉強を始めるところだ。だから今日の勉強内容の記録も兼ねて、もう一回ブログに力を借りてみようと思う。

 今日の勉強:なし。何もやる気が起きなかった。